音楽の伝え方、いろいろ

3月のコンサートで初演した自作曲を

忘れないうちに楽譜に起こしました。

 

しばらく弾かないと、自分で作った曲でも忘れます。

編曲した曲も同じように、いつまでも指が覚えていてくれません。

 

楽譜に書き残すことは、記録の意味でやっています。

 

アイルランドの伝承曲の世界に足を踏み入れてから、

音を目で追う(譜面を見て弾く)ことをしなくなりました。

 

それに慣れるまで、とてもとても時間がかかりましたが、

今は、いろいろな意味で本当に助かっています。

(譜面台も楽譜も、荷物から2つも減りましたから!)

 

音譜というものは、平仮名ぐらいしか読めない年齢の頃から

見続けているものでした。

 

逆に譜面さえあれば、いろいろ弾くことができる、

という便利さはあると思います。

 

それは本を音読するのと同じです。

暗唱は難しいですものね。

 

でも、耳で聞いたものを弾く訓練をすると、耳が持つ可能性を

まだまだ広げられるようです。

 

オタマジャクシは苦手で、とおっしゃる方も多いかと思いますが、 

譜面など読めなくても、音楽を楽しむことは十分できるのです!

  

 

こちらは、アイルランドのドニゴールという街の小学校での

音楽発表会に行った時の写真です。

 

エンヤさんとお姉さんのモイヤさんが卒業した、

街で唯一の小学校です。

 

モイヤさん率いるプロのグループが演奏した後に、

子供たちのコンサートがありました。

 

ホイッスル(笛)、フィドル(ヴァイオリン)、マンドリン、ボーラン(太鼓)

アコーディオン、そういった楽器での演奏です。

 

かなり日本の小学校の音楽の時間とは違う雰囲気です。

そして、楽譜を読める子が一人もいないのです!

 

もしかしたら、教えている音楽の先生も読めないかも(?)知れないです。

 

伝承というのは、そういうものなのですね。

バッハのように綿密に楽譜を残した大陸の音楽とは、

全く別もののようであります。

 

どっちもすごいと思うのですが、

ケルト音楽は、より普段着感に溢れ、日常的な音楽であります。

 

宮廷が舞台ではなく、家庭の中であり、村の集会の中であり。

そして、音楽が身体に染み付いている、そんな感じです。

 

その光景を見た時は、カルチャーショックでありましたが、

昔話を語るように、音楽を語り継いでいる、それだけのことだよ、と

アイルランド人は言うでしょう。

 

素朴で飾り気がないところに、

どこかホッとするものがあるようです。

 

そんなカルチャーに影響されて、私はコンサートの冒頭のご挨拶で、

よく「クラシックの音楽会ではないので、どうぞ楽になさってください」と

言うようにしています。

 

我が家に来てくださって、そこで開かれているようなコンサートを

これからもしていきたいと、常日頃思っております。^^)

 

さて、3月のコンサートで弾いたオリジナル曲『暖炉の前で』は、

ご好評いただいて、大変嬉しいです。

 

今年は、また新曲をいくつか作っていきたく思っています。