ドラマを歌い、伝えるということ

アイルランド、ダブリンにあるクライストチャーチのステンドグラス
アイルランド、ダブリンにあるクライストチャーチのステンドグラス

先日、稲垣俊也さんという、男性オペラ歌手の方のソロコンサートを聴きました。

 

ふくよかな安定したバリトンのお声にも癒されましたが、コンサートの作り方がリズミカルで、見事に聴衆を一つにすることができて、本当に素晴らしいなぁと感動しておりました。

 

その方の著書の中に、ある演出家の方からアドヴァイスを受けたことが書かれていました。

 

それは、「言葉のない母音唱(あ〜とか、う〜など)であっても、ここでどんなドラマが展開されているかを聴衆に知らせなければならない」ということでした。

 

なるほど、と思いました。確かにそうです。

それはとても高度なことなのでした。

 

私は今、ゲール語の古いアイルランドの聖歌を、教会でのクリスマス・ミニコンサートで歌うために練習しています。

 

 



その曲の中には同じフレーズ、「ああ、ああ、なんてことでしょう」

という言葉(嘆き)が8回出て来ます。


英語でいうと、"Oh, dear!" とか "Oh, my God!"なのですが、

ゲール語では、「ホー、ホーニィサ、ホーノー」と言います。

 

場面が4つほどあって、この嘆きは、ペテロであったり、

マグダラのマリアであったり、母マリアであったり、ヨハネであったりで・・・


全部聖書に出て来る人物なのですが、

嘆いている人も違いますし、嘆きの内容も違います。

 

その8回の嘆きは、当然、それぞれに違った思いで歌う必要があります。

 

裏切ってしまった後悔の嘆き

喪失の嘆き

理不尽な出来事への嘆き

喜びを秘めた嘆き

 

声のトーンにより、語気により、思いを空気に乗せていく・・・

そんな感じでしょうか。

 

テーマも大きく、音楽以上に伝えることに重きを置いた曲というのは、

これが初めてかしら、と思います。

 

夏から温めている、この「3人のマリアの嘆き」という曲は、

私にとって果てしなく、汲み尽くせない深い井戸、

そんな曲なのでした。

 

場面ごとに見えてくるのは、ルーブル美術館にある絵画のようです。

聴いている方にもそんな絵が見えるようにできたら、

よいのですが。

 

今日は朗読してくださる方との合わせでした。

今回の場合、朗読というより、私は通訳と思っています。

 

昔、サッカー日本代表のトルシエ監督のそばに、いつも影武者のように

後から付いて行って、身振り手振りで通訳をしている、

フローラン・ダバディという人がいました。


見ていて思ったのは、トルシエ = ダバディ なのです。

自分が同意見である、ないに関わらず、本人になりきっていらっしゃって、

 

笑う、怒る、抗議する・・・・

ご自分を捨てて、一心同体となり、

トルシエ監督の熱い思いを、必死で伝えているのが印象的でした。


そのダバディさんと同じように、

朗読してくださる方は、私のしゃべる(歌う)ことに

そのまま反応してくださるので、

 

私がきちんとしなければならない、と思いました。

 

普段ソロ活動しているので、これも初めてのことです。

いろんな機会があって、経験ができて、喜んでいます。

 

こんなコラボレーションをこれからもやっていきたいです。