石巻にて(市内編)

日本にとって、忘れることのできない出来事から4年が経過しました。

 

これまでは遠く離れた場所から、心ばかりの支援に関わらせていただくことはありましたが、今年はその被害の大きかった地域、石巻へ招かれることになりました。

 

3月10日の午前中に、新幹線「はやぶさ」に乗りまして、大宮から1時間と少しで、仙台に着きました。

 

仙台駅にお迎えに来てくださり、石巻へは車で1時間半ほどで着きました。

 

上の写真は、石巻から近い女川という町です。

 

海沿いにあった女川の町が津波で流されて、建物などが跡形もなくなっていました。

今はそのがれきも撤去されていて、ほぼ更地になっていました。

これからまた町が作られていくのでしょうか、工事が始まっていました。

 

この写真は高台にある病院から撮ったものですが、この病院にも津波が押し寄せて、

屋上へ逃げられた人は助かった、という場所でした。

 

海が見えるというのは、通常であれば絶景で、よいローケーションのはずですが、

ひとたび海が猛威をふるったら、人間は無力であることを思います。

 

地震の怖さは、少なからずとも揺れを体験しているので、わかるものの、

日常的に海を見ることがない者にとって、津波ということを想像するのは

難しくありました。

 

ですので、この光景を目の当たりにしますと、本当に怖さが伝わって来ました。

予測できないことなだけに、なおさらです。

 

そして、津波で流されなくとも、低体温症で亡くなった方も

たくさんいらしたそうです。

着いた日も積もってはいなかったですが、時折粉雪が舞うような

寒い日でした。

 

この日を境に、東北の人々の生活が一変したことを思うと、

心が痛いです。この4年はどんなに長く感じられたことでしょうか。

 

日本全体にとっての痛みでもありました。

忘れることなく、これからも心に留めていきたいことであります。


 

女川町をご案内いただいて、また石巻へ戻り、その日の宿泊先へ参りました。


サン・ファン・ヴィレッジというところです。

ここには、慶長使節(1613年)を記念してのミュージアムが

ありました。


伊達政宗が宣教師派遣のためメキシコへ、また貿易交渉でスペインへ慶長使節団を送った時の帆船「サン・ファン・バウティスタ」の復元船が係留されていました。


着きましたのがもう夕刻でしたので、中は見ることはできませんでしたが、とても興味深い所でした。


機会があったらまた行ってみたいです。それと、石巻は牡蠣の養殖で有名なのですね。


復興が進んで、また活気ある町に戻ってほしいです。



白くうっすらしているのは、雪です。


これは翌朝、あまりに早く(たぶん5時前)目が覚めてしまい、宿泊しているヴィレッジ内を

散歩しました。


やっぱり寒いです。東北ですものね。


そして次第に雪は止み、晴れ間が見えて来ました。よかったです。


今日はここから近くの教会でコンサートです。


たくさんお客さんが来てくださったら、嬉しいです。(続く)